funacchi's blog

責任はすべて我にあり。

「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」

寒くても食べたいくらい好き、ざるうどん。
よくランチで食べる。
僕は丸亀製麺ユーザー。


3連休の予定。
明日は午後からコーポリアルマイムの特別レッスン、夜はそのまま先生とレッスン参加者たちと忘年会。
明後日はお昼頃から自宅に人が来て鍋会。
明々後日は夜に演劇ワークショップ。
余裕があるわけでもないわけでもないイイカンジの予定具合だな。


故・樹木希林さんが遺した言葉を集めた本「一切なりゆき」を読んだ。
この境地に至るまでにはいろんなことと向き合い苦しみ闘ってきたんだろうなあ。
僕はまだまだ甘すぎる。


少しだけ。
僕が惹かれた言葉たちを紹介。

求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから。足るを知るではないけれど、自分の身の丈にあったレベルで、そのくらいでよしとするのも人生です。

人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前。私自身は、人生を嘆いたり、幸せについておおげさに考えることもないんです。いつも「人生、上出来だわ」と思っていて、物事がうまくいかないときは「自分が未熟だったのよ」でおしまい。

人の人生に、人の命にどれだけ自分が多く添えるかという、その体験の豊富さが、いい役者かそうでないかというふうに思うんですよね。
その人の悲しみを自分のことのように悲しめる。離れていてもちゃんと苦しみが・・・。そういうことの場数だと思うんですよね。

十分生きて自分を使いきったと思えることが、人間冥利に尽きるってことなんじゃないでしょうか。

最近のわたしは、"きょうよう"があることに感謝しながら生きています。教養ではなく、今日、用があるということ。神様が与えてくださった今日用をひとつずつこなすことが日々の幸せだし、最後には、十分に役目を果たした、自分をしっかり使いきったという充足感につながるのではないかしらね。

楽しむのではなくて、面白がることよ。楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。

「もっと、もっと」という気持ちをなくすのです。「こんなはずではなかった」「もっとこうなるべきだ」という思いを一切なくす。自分を俯瞰して、「今、こうしていられるのは大変ありがたいことだ、本来ありえないことだ」と思うと、余分な要求がなくなり、すーっと楽になります。もちろん人との比較はしません。

幸せというのは「常にあるもの」ではなくて「自分で見つけるもの」。何でもない日常や、とるに足らないように思える人生も、おもしろがってみると、そこに幸せが見つけられるような気がするんです。

自分自身の人生だけでもへたばっているのに、他人の相談に乗るなんて私にはできるわけないですから。

どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろうと。

芝居の面白さって何かをやった時じゃないの。それをやった時に反応する人の顔が面白いのよ。

生きるのに精いっぱいという人が、だいたい見事な人生を送りますね。